古代山城 「茨城』推定地と芋原の大スキ跡 案内揭示板除幕式

株式会社六共 会長 粟木原明人氏 感謝状贈呈

式次第

2024年(令和6年)3月30日(土)10:00
① 開式
② 主催者あいさつ
③ 除幕
④ 来賓祝辞
⑤ 来賓紹介
⑥ 感謝状贈呈
⑦ 記念撮影
⑧ 閉式

古代山城 「茨城」 推定地と 「芋原の大スキ跡」

【古代山城】

国土の防衛を目的として築かれた施設です。
朝鮮半島では唐 (中国) 新羅 (朝鮮) の連合軍に滅ぼされた
百済 (朝鮮) の再興要請を受けて救援に向かった倭軍(日本軍)は、白村江の戦い (663年)で惨敗しました。
 その後、倭国は唐と新羅の連合軍が日本に攻めて来る事を恐れ、北九州から瀬戸内にかけて山城を築き、 現在25城が知られています。

【芋原の大スキ跡】

「続日本紀』 の養老三年(719年)の条に「備後国 安那郡茨城停」と記載されています。
 長い間 「茨城」は所在が未確定でしたが、 2023年3月に古代山城研究会 と 備陽史探訪の会が「芋原の大スキ跡」を合同踏査し、古代山城に特有の土塁が芋原の外周を断続的に巡っており、古代山城である可能性が非常に高いことを確認しました。

提供:岩手県奥州市 牛の博物館
2024年(令和6年) 3月30日 (土)
広瀬学区まちづくり推進委員会

JOCパートナー都市協定締結に貢献したとして福山市スポーツ協会から感謝状を頂きました。

写真左から中森 康弘氏、粟木原 明人氏、赤木 恭平氏、小川 政彦氏、菅田 博文氏

福山市とJOCとのパートナー協定締結にいたる経緯

羽田市長当時、稲葉市議会議員より
福山市とJOC日本オリンピック委員会とパートナー協定を結びたいと相談を受け粟木原明人氏の親友でJOC委員会名誉委員の赤木恭平氏をご紹介して頂き協定を結ぶことができました。
また十三代枝広市長様から聖火リレーも福山を通すことはできないだろうか、もし可能であれば合わせて福山市でセレモニーもやってほしいとのご要望もあり、赤木名誉委員と粟木原明人氏のご尽力により福山聖火リレーも実現いたしました。
セレモニー会場場所として競馬場跡地に体育館建築をという案もありましたが、赤木名誉委員から

「体育館でなく今の時代アリーナ(総合体育館)ですよ、もしアリーナとして実現可能ならオリンピック開催に合わせて完成を目指しましょう」

と助言頂きながら計画通り進んでいきました。

しかし新型コロナウイルス感染拡大により自粛されたセレモニー開催となりましたが、この度赤木名誉委員と粟木原明人氏に福山市長枝広直幹様と福山市公益財団法人福山市スポーツ協会代表理事菅田博文様より誘致にご尽力していただいたとして感謝状を頂くこととなりました。

「人との出会いを大切にしてきたことにより少しでも福山市の為になれたことうれしく思っております。ありがとうございました。」粟木原明人より

パートナー都市協定協力者

公益財団法人日本オリンピック委員会
名誉委員
赤木 恭平氏


公益財団法人日本オリンピック委員会
総合企画国際部長、会長室長
中森 康弘氏


株式会社 六共
会長
粟木原 明人氏

築城400年福山城視察

福山城バリアフリー実用者第1号(実験)として赤木 恭平氏に体験していただきました。

こぶしヶ丘学園にクリスマスプレゼント

(株)六共の地元にある福山市加茂町の養護施設に毎年恒例のお菓子などのクリスマスプレゼントを子ども達に贈りました。
今年でその活動も10年以上になりますが少しでも子ども達が伸び伸びと成長できるよう貢献できればと思います。

重政庸徳翁顕彰碑 清掃活動

昭和53年(1978年)11月、生地に近い神辺町天別豊姫神社境内に重政庸徳翁顕彰碑が建てられました。
隣には弟の重政誠之翁顕彰碑が並んで建っております。

この顕彰碑の設置には(株)六共も深く関わっており、建42年経っておりますが、設置に携わった者として清掃や付近の山の伐採をしております。

重政 庸徳

(しげまさ ようとく、1895年1月15日 – 1977年9月28日)
日本の政治家。元参議院副議長。衆議院議員の重政誠之は弟。正三位勲一等。

来歴・人物

広島県深安郡神辺町出身。広島県立福山中学(現広島県立福山誠之館高等学校)から第五高等学校を経て東京帝国大学農学部卒業後、1923年農林省入省。岡山農地事務局長などを歴任した後1953年第3回参議院議員通常選挙で初当選。1962年に参議院副議長に就任。

その後、参議院議員を三期務め1971年6月、引退。

1965年勲一等瑞宝章受章。1977年9月28日死去。享年82。

重政 誠之

(しげまさ せいし、1897年3月20日 – 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家(衆議院議員)。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。

来歴・人物

広島県深安郡神辺町に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。
1952年の第25回衆議院議員総選挙に自由党公認で旧広島3区から立候補し初当選6期務める。農商省時代に、自民党で河野派(春秋会)に所属、派閥の金庫番あるいは代貸し的な存在となった。1962年、第2次池田内閣で農林大臣として入閣を果たす。

実霧が注目を集める中行1981年6月3日死去。享年84。墓所は青山霊園。元農林大臣重政誠之と顕彰碑が建っている。

手指及び脳機能回復訓練箱寄贈 鏡を使ったリカバリー器計10台

弊社が開発した、鏡を使った手指及び脳機能回復訓練用器具・リカバリーシリーズの、リカバリーフィッター(特許番号:第3112990号)2台及びリカバリーブライン(同:第3114239号)8台を、福山市役所職員の疲労回復につながれば―と寄贈しました。市役所で12月24日、寄贈式及び感謝状贈呈式が行われました。

リカバリーフィッターは、両手を箱の中に入れて両手指を動かさせる器具です。
動かない方の手の上に鏡を立てかけ、鏡を通して見ることで、動かない方の手指も動いている錯覚を起こさせ、神経や筋肉に刺激が及んで脳の活性化や機能回復につながります。

リカバリーブラインは、正面に置かれた鏡を見ながら、目隠しの下で紙に図形を描いたりマッチ棒を移動させたりする器具で、左右上下が反対になりながら動作を行うことが脳への刺激になります。

 2004年に長嶋茂雄巨人軍名誉監督が脳梗塞で倒れ、麻痺を患ったことを知った粟木原会長が同器具を考案。機能回復訓練に役立ててほしいと前者の方を贈呈したところ、後に本人からの礼状が届きました。

杉野昌平副市長は「本庁やすこやかセンターなどに置かせていただき、職員や利用者が使えるようにしておきたい。リフレッシュする機会になれば」と謝辞を述べられました。

 粟木原会長の話「本市や岡山県でも、年末から感染が再び広がり始めておりますが、拡大防止に市職員の皆さんが努力されていることに感謝申し上げます。この箱は、注意力低下や認知症の予防、記憶力や思考力を高めるなどの効果が期待できますので、担当職員の方々の気分を変えるため休憩時間などでご使用いただきたいと思います」。

杉野副市長に使い方を教える粟木原会長(右)

百谷地区活性化推進委員会

開催日:令和2年11月22日(日)
事業名称:天王橋~県道462号合流地点までの市道清掃.清掃

作業内容

(1)道路及び水路の増積土の撤去

(2)落石の撤去

(3)道路上に突き出た枝木の伐採。今後、支障を及ぼす可能性のある立木の伐採を含む。

(4)その他、安全通行に向けての出来うるだけの措置。

福山市総合体育館を視察見学しました

令和2年2月15日(土曜日),福山市総合体育館を視察見学いたしました。

視察団には

公益財団法人日本オリンピック委員会名誉委員
世界テンピンボーリング連盟終身名誉会長
特定非営利活動法人日本ワールドゲームス協会会長
赤木恭平氏

福山市議会議員
稲葉誠一郎氏

赤木恭平 中四国 九州ブロック秘書
粟木原敦祐氏

メインアリーナや武道場などを視察しました。

オープンは,2020年(令和2年)3月20日の予定です。

六共・粟木原明人社長ら 行政の事業計画に翻弄され衰退 百谷地区活性化推進委員会発足

過疎化対策を結束して要望する

 福山市加茂町百谷地区活性化推進委員会(粟木原明人代表)が、地元有志らによって発足した=写真。早川佳行福山市議会議員、藤井弘道㈱一瓢組社長を相談役に迎え、様々な事業計画に翻弄され、衰退を余儀なくされた百谷地域に賑わいを取り戻すべく、地域のインフラ整備や定住推進に向けて活動するという。

百谷地区の歴史は古く、同地にある房丸神社は足利幕府第11代将軍義澄の孫・足利豊後守右門大夫源三位房丸を祀っている。戦乱や政争を避けて同所に移り住み、織田信長が13代将軍義輝に謁見した1559年に没したとされる。また門田朴斎の出生地でもある。朴斎は菅茶山や頼山陽に学び、1829年に33歳で福山藩の儒官、のちの老中阿部正弘の教育係及び阿部家藩主5代に仕え、1863年には藩校誠之館の教授も務めた人物。ほか、江戸時代中期に突如現れた幻の焼き物「姫谷焼」が焼かれた土地でもある。
同所では80年代にゴルフ場建設の計画が持ち上がったがとん挫。その後90年代に入って公共事業の計画が持ち上がったが、現在凍結されたままだ(以下に参考として、96年に市から出された計画地図=右=と、「地元要望に対する回答〔95年2月〕」に書かれた開発の経過を記す)。人口は93年に75世帯267人だったが、16年は58世帯125人になっている。
粟木原代表の話「団地造成や四川ダム建設、国道182号線の整備など、計画が持ち上がるたびに、土地を売ったり、立ち退いたりして、地域住民は翻弄され、生活基盤がどんどん失われていった。人口減少が急速に進み、このままでは歴史ある町が消滅するだろう。残土処理に関しては、調査はされたがそこで止まっている。過疎地だからと後回しにせず、せめて緊急車両が通れる程度の道路幅の拡張など、早急にお願いしていきたい」。

【開発の経過】

▽ 93年10月 駅家加茂地区内陸団地計画区域への編入の承認▽ 94年3月 団地区域からの除外、河川整備と併せた圃場整備の容認▽ 95年2月 圃場整備に係る早期事業化と付帯工事の地元要望を承認▽ 95年3月 公共残土処分場の建設計画の依頼、圃場と一体的整備▽ 96年6月 赤坂バイパス残土受け入れの検討指示▽ 97年3月 H9( 97)年度予算に百谷川に残土埋め立てに係る予算計上▽ 97年3月 赤坂バイパス残土受け入れに伴う圃場整備承認申請、福山市土地改良区▽ 97年12月 赤坂バイパス残土の搬入中止の説明 駅家加茂線(下加茂分)の残土の受入を要請▽ 98年3月 公共残土処分場建設計画の凍結説明▽ 98年10月 団地各地区会長会で圃場整備は、団地50haを先行して判断すると説明▽ 98年12月 地元会長が圃場整備の実施の時期を明確にすることを要請

「行幸啓宿處」の碑を 適切な場所に設置保管を

六共は総合建設・解体を主業務としており、老舗ホテル「福山グランドホテル」(福山市西町2―7―1)が2003年1月閉館し、結婚式場「セント・ヴァレンタイン

福山」を建設する際、同社がホテルの解体を請け負ったのだが、「行幸啓宿處(ぎょうこうけいしゅくしょ)」の碑を廃棄物として処分するよう依頼を受けたという。
 行幸啓とは、天皇皇后両陛下が式典などに出席するために地方に出向かれることで、天皇陛下だけの旅行は行幸と言う。1995年5月21日、両陛下は広島県本郷町にある県立中央森林公園で開かれた「第46回全国植樹祭式典」に出席され、御調町の「ふれあいの里」を視察後、福山グランドホテルに宿泊された。翌22日には福山市内の県立歴史博物館と、県立東部工業技術センターを視察している。
 碑は行幸啓による視察と、宿泊されたことを記念して敷地の南東の角に、当時の小林嗣宜福山グランドホテル社長が建立した。粟木原会長は廃棄しないで、自身が所有するペンションの敷地に建て大事に保管している。
 「石碑の処分を依頼されたが、そのまま廃棄するわけにはいかなかった。『行幸啓宿處』の文字が刻まれており、天皇皇后両陛下がかつて福山グランドホテルに宿泊され、福山市内の施設を視察されたことはまぎれもなく福山の歴史の1ページ。適切な場所に設置し保管して欲しい」と訴える。